石川啄木、金田一京介旧居・赤心館跡

どうも西片さんです。

現在外は、ぐずぐずの天気模様というか雨です。

そんな中、本郷5丁目にある石川啄木、金田一京介旧居・赤心館跡に行ってきました、別の日に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石川啄木 (1886~1912) は、「文学の志」やみがたく、明治41年5月、北海道の放浪の旅をおえて上京した。啄木22歳、3度目の上京であった。上京後、金田一京助を頼って、ここにあった“赤心館”に下宿し、執筆に励んだ。

 赤心館での生活は4ヶ月、その間のわずか1ヶ月の間に『菊地君』『母』『天鷲絨』など、小説5編、原稿用紙にして300枚にものぼる作品を完成した。

 しかし、作品に買い手がつかず、失意と苦悩の日が続いた。このようななかで、数多くの優れた短歌を残した。収入は途絶え、下宿代にもこと欠く日々で、金田一京助の援助で共に近くにあった下宿、“蓋平館別荘” に移っていった。

   たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず  (赤心館時代の作品)

文京区内の啄木ゆかりの地

・初上京の下宿跡 (明治35年11月~36年3月) 現・音羽1-6-1
・再度上京の下宿跡 (明治37年10月~同年11月) 現・弥生1-8あたり
・蓋平館別荘跡 (赤心館  ~明治42年6月)現・本郷6-10-12 太栄館
・喜之床 (蓋平館  ~ 明治44年8月)現・本郷2-38-9 アライ理髪店
・終焉の地 (喜之床  ~ 明治45年4月13日死去)現・小石川15-11-7 宇津木産業

     東京都文京区教育委員会 平成元年 3月

 

石川啄木は何度か、この文京区で下宿をしていました。

そのうちの3度目の下宿先がこの赤心館だったそうです。

現在赤心館は、事務所となっており、全く別の白い建物になっています。

 

 

ではでは~

 

 

 

お近くにこんな物件があります。

 

 

文京区本郷3丁目の土地

 

 

文京区本郷4丁目の土地