小石川 石川啄木終焉の地
どうも西片さんです。
すごい雨が降っております。
ザーザー降りでございます。
先日梅雨入りしてから、ずーと雨ですね。
雨のにおいは嫌いではないですが、濡れるのは嫌ですね。
本日は小石川にある石川啄木の終焉の地を取り上げようと思います。
石川啄木は3度上京しているそうです。最初は岩手県の中学校卒業する前に退学し上京し下宿先が現在の音羽一丁目八幡坂上だそうです。
2度目の上京は、処女詩集『あこがれ』の刊行が目的であったが、最初に落ち着いたのは向ヶ岡弥生町で
3度目の上京では、北海道での放浪生活から創作活動に専念するため、明治41年に、同郷の先輩金田一京助をたよって、菊坂町の赤心館に下宿したそうです。
いずれも文京区に上京しています。
明治44年、啄木は家族と共に本郷の喜之床(きのとこ)からこの地に移りました。
啄木も母も病身であり、翌年3月には母が亡くなりました。
そして明治45年4月13日、肺結核で啄木は26歳で生涯を終えました。
肺結核になった際に病気の治療のために環境の良かった小石川に移ったそうです。
最終的には治ることはなく、奥さんや父親、友人看取られて命を引き取りました。
文京区の様々な地で文学を学び、歌人として名前を残しました。
文京の名の通りの偉人です。
ではでは~