大塚 白鷺坂

2020年1月16日

はい、どうも西片さんです。

今回は、大塚にある白鷺坂を取り上げたいと思います。

ゆるやかで、わずかに、くの字で曲がるカーブになっています。

 

 

白鷺坂
このあたり一帯は,かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であった。近くの区立大塚小学校地は,池を中心とした 伊達屋敷の庭園部に相当すると伝えられる。明治時代を迎えて荒廃するが,「古木老樹がうっそうとしげり 白鷺の集巣地となって日夜その鳴声になやまされたものである。」とは土地の古老の話である。
この白鷺にみせられた アララギの歌人 古泉千樫は,ここに毎日通いつめて白鷺を題材とした短歌をつくったといわれる。
明治末期の東京市区改正に伴う道路整備によって 不忍通りの前身が伊達屋敷内を貫通したため 往時をしのぶものもなく,そこにできたこの長い坂道にも坂名のないままであったが 誰いうとなく 白鷺にちなんだ坂名が愛称となった。
大正から昭和にかけての人によってつけられた坂名といえる。

鷺の群 かずかぎりなき鷺の群
そうぜんとして寂しきものを   古泉千樫(1886-1927)

東京都文京区教育委員会   昭和63年3月

 

 

ではでは~