湯島 実盛坂
はい、どうも西片さんです。
先日から梅雨が始まったそうです。
ここしばらくは雨がつづきそうですね。
先日梅雨が始まる前に文京区の湯島にある実盛坂に行きました。
階段になっているのですが、傾斜が急で結構危ないです。
実盛坂の名前の由来は、人名から来ており、長井斎藤別当実盛という名前から来ています。
この長井斎藤別当実盛という人物は平家物語などに出てくる老齢の武士です。
『江戸志』によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とある。
また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が『江戸砂子』や『改撰江戸志』にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。
実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現・埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれた。
斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。この話は『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しく記されている。
湯島の”実盛塚”や”首洗いの井戸”の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。
文京区教育委員会の標識(平成14年3月)より。
首洗いの井戸
敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。(wiki引用)
斎藤実盛の伝説が尊ばれ坂名になりました。
ではでは~