湯島 樹木谷坂
どうも西片さんです。
いやー、風を引いてしまったみたいです。
もともと体は丈夫な方ではないので、早寝するようにしたり、ヨーグルトたべたりしていたのですが。
まあ、風を引いてしまったものは、しょうがないのですが、驚いたのは私の父も母も風を引いてしまったみたいです。
家族そろってバタンキューです。
体調管理には、気を付けないとブログも書けなくなるのは、困りますからね。
さて、今回は湯島にある、樹木谷坂を取り上げたいと思います。
緩やかな傾斜で、めちゃくちゃ短ーい坂です。
樹木谷坂 じゅもくだにざか
地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下がる坂である。そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
『御府内備考』には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。
尭恵(ぎょうけい)法印の『北国紀行』のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・並びに湯島といふ所あり。
古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵のゝ遠望かけたるに、寒村の道すら野梅盛に熏ず」とある。
天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。
その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷坂の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎氏(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創立した。
その後、伝習所は 現東京家政大学へ発展した。
文京区教育委員会 平成10年3月
ではでは~