弥生坂(鉄砲坂)

こんにちは、西片さんです。

最近は、どんどん暖かくなってきましたね。

最近私は、くしゃみと鼻水がとまらないのですが、アレルギーにでもなってしまったのでしょうか?

それとも激しい寒暖差に体が耐え切れなかったのかな?

皆さんも体調を崩さないようにしてくださいね。

ではでは・・・

と見せかけてまだ話は終わっていませんでした。

西片から根津に向かう道の途中に弥生坂という坂を見つけました。

本当にこの周辺は坂に名前がついていることが多いですね。

そこまで高低差のある坂ではありません。

かつて、このあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。
明治2年(1869)これらの地は明治政府に収公されて大学用地となった。明治5年(1872)には、この周辺に町家が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので、鉄砲坂ともいわれた。
弥生とは、水戸徳川斉昭侯が、文政11年(1828)3月(弥生)に、このあたりの景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。
名にしおふ春に向ふが岡なれば 世にたぐひなき花の影かな
徳川斉昭』
文京区教育委員会の標識(平成11年3月)より

 

幕府鉄砲組の射撃場の名残で鉄砲坂とついているみたいですね。

この周辺は和風な建物がちょこちょこあるのもその名残なのでしょうか

 

ではでは~

 

 

 

 

 

 

 

 

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