続きまして北へ北へ、タバナン県のマルガ英雄基地へと向かいます。約300年間インドネシアを植民地支配していたオランダを大東亜戦争で撃破した日本ですが、その後戦況悪化し敗戦→直後に独立宣言をしたインドネシア共和国ですがその独立を認めずオランダが再び再植民地化へ。残留日本兵がインドネシア人と共に独立へ向けて参戦、共に戦った人数は3千人とも言われてます。うち千人程が戦死しており共に戦った仲間としてインドネシア各地の国営墓地で今も静かに眠ってます。

とまあネットで調べりゃこんな感じでいくらでも出て来ますので書きません!裏の取れない話ですからねぇ、日本も大東亜共栄圏と言いながらインドネシアを植民地化したい気持ちもあっただろうとも思うし、また本気でインドネシアを欧米諸国から独立させたくて戦っていた兵士も居たでしょう。
真実は分かりませんが1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送ったと言うので基本的には独立のきっかけになった事は間違いなく、結果オーライ的な感じなのかもしれません。東京タワー近くの青松寺の石碑には「市来龍夫君と吉住留五郎君へ。独立は一民族のものならず全人類のものなり。1958年8月15日東京にて。スカルノ」と刻まれている。2012 0713 iphone 1027.jpgマルガ英雄基地入口<Ahref=”http://bunkyojyuuhan.up.seesaa.net/image/201220071320iphone201028.jpg” target=_blank>2012 0713 iphone 1028.jpg2012 0713 iphone 1030.jpgマルガで散ったグラライ氏の記念碑2012 0713 iphone 1034.jpg2012 0713 iphone 1037.jpg←グラライ氏の墓  2012 0713 iphone 1039.jpg2012 0713 iphone 1042.jpg
小学校の社会見学で子供達が沢山いました。国の為に戦って死んだ英霊が眠る靖国神社的なこの場所を訪れるのは当然でしょう。残念ながら我が日本では義務教育期間中に社会科見学など終ぞありませんでした。総理大臣が参拝しない位だから当たり前なのでしょうけど。

併設されている記念館?的な所へ、入口でお気持ちルピアを支払いました。社会科見学の子供達はみんな携帯電話片手に写真をパシャリ、そう言う意味では日本は遅れてるのかな?ふとバングラデシュへ行った時を思い出したがあの時は日本人が珍しくて子供達が沢山後ろに着いて来てたなぁ~。
2012 0713 iphone 1052.jpg2012 0713 iphone 1047.jpg
ピンボケでスミマセン、TAKAGI YONEHARUと記載があります。「戦跡の歩き方」様には日本海軍特警隊所属の高木米治兵曹長(1919年7月3日生まれ、宮崎県東臼杵郡出身)とあります。
2012 0713 iphone 1054.jpgSUKRAとあるので松井兵曹長と思われる。<Ahref=”http://bunkyojyuuhan.up.seesaa.net/image/201220071320iphone201055.jpg” target=_blank>2012 0713 iphone 1055.jpg2012 0713 iphone 1060.jpgSUKURIとあるので荒木兵曹長だと思われる。松井・荒木はここでも併記されてるのでいつも一緒にいた戦友なのでしょう。
次回はゴアジャパン訪問です。
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