目白台 清人坂
はい、どうも西片さんです。
こないだの台風は、凄かったですね。
外の雨の音が太鼓を叩いているかのようでした。
電車も止まっているところも多く大パニックでしたね。
台風が去ったあとから、涼しさがでてきて秋が近くなった感じですね。
さて、今回は、目白台にある清人坂を取り上げていきたいと思います。
高低約8mの緩やかな傾斜があります。
清戸坂 (きよとざか) (清土[せいど]坂) [文京区設置の標識]
延宝4年(1676年),御三家 尾張徳川家の御鷹場が 中清戸(現 清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。
首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向かっての広い道は,昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
江戸時代,この坂の北側一帯は,雑司ケ谷村の畑(現在の雑司ケ谷墓地)で,坂の道に沿って 雑司ケ谷清土村百姓町があった。
明治10年代から 坂の北側には牧場と牧舎が建ち,平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり,人々が休憩した。旗竿には,『官許の牛の乳』と仮名と,ローマ字で書かれていたという。
説明版が文京区のものと東京都のもので二つあります。
清戸坂 きよとざか (せいどざか)「東京都の設置」
目白台上の目白通りは,江戸時代清戸道といった。中清戸(元清瀬市内)に御鷹場御殿があり,将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。
この清戸道から護国寺に下るわき道が 清戸坂で,清戸道へ上る坂ということで 坂名がつけられた。
坂道の北側に,雑司谷清土村があったので,清戸坂とも呼ばれた。
東京都 昭和58年3月
ではでは~
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